江戸時代の各藩がいづれも財政のやりくりに困り領地の産物を売り広めたが水戸藩では久慈郡保内郷にできるこんにゃくの栽培を奨励し、原料を藩の専売とし、江戸には専売所を大阪には特約商人をおき、大いに水戸産こんにゃくの名声を高めました。 武士の商法とはいえ、品質を落とすものは入牢を申しつけるまで手厳しい取り締まりをしたと言われます。 万延元年(1860)3月桜田門外井伊大老を襲った水戸藩士らの行動資金はこんにゃくを扱った商人たちが貢いだものと言われています。 これより先に保内郷の中島藤右衛門が、こんにゃく芋を乾燥して粉にすることを考案し、そのため水戸のこんにゃくは各地に売り出されて名声を高めると共に、生芋の製粉化で貯蔵・輸送ができるようになり、今日のこんにゃく産業の礎を築いたわけです。 このように藩として奨励し、産業化したのは、水戸藩であり、その後明治以降には各県においてそれぞれ奨励指導等を行って今日に至ったのです。
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